GRÈS グレ
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“モード界の守護神”、“クチュールの巨匠”、“クチュール界のグラン・マダム”……。自身が活躍した1930年代から現在に至るまで、モードの世界で惜しみない賞賛と敬意の対象とされる伝説のクチュリエールがマダム・グレだ。シャネル、ランバン、スキャパレリと、1920〜30年代にかけてきら星の如く登場した女性クチュリエールのなかにあっても、マダム・グレの存在感と影響は絶大といえる。
では、彼女を偉大な存在たらしめているのはどのような点なのか? それをもっとも端的に表す表現が“布の彫刻家”という言葉である。パリのブルジョワ階級に生まれながら彫刻家を夢見て家を飛び出したマダム・グレは、生活費を得るためにコートのトワルを作成した。彫刻家を志していた彼女の作品には、既存の洋服にない豊かな芸術性が宿っており、ほどなくアメリカの大手百貨店Macy’sの社長にその才能を見出される。以降、マダム・グレは本格的にモードの世界へと足を踏み入れ、布を素材とした“彫刻”をスタートさせることとなった。
1932年にメゾン(アトリエ)をスタートし、1935年に発表したジャージードレスで一躍脚光を浴びる。そのドレスこそ、“布の彫刻家、マダム・グレ”の発端となった代表作である。キーワードは、ジャージーとドレープ。当時にあってこのうえなくモダンで先進的な素材だったシルクジャージーを使用し、流れるように美しい幾重のドレープを施した。デッサンに頼ることなく、身体に直接布地をまとわせて裁断するという独自の手法を用い、時には300もの緻密なプリーツを施してエレガントなドレープを描くドレスを発表し続け、いつしか彼女は“布の彫刻家”と称賛されるようになった。
1942年にはアトリエの名前を「グレ」と変更し、オートクチュールメゾンとして世界中のセレブリティに愛される存在となる。晩年まで活躍した彼女は、その後プレタポルテや名フレグランス“カボシャール”“カボティーヌ”の発表など活躍の場を広げ、2度のレジオン・ド・ヌール勲章(ナポレオン・ボナパルトによって制定されたフランスの最高勲章)受賞やメディアへの登場、オートクチュール協会の会長就任など、モードの世界を飛び越えて揺るぎない名声と栄誉を得た。
仕事に心身のすべてを集中させ、妥協を許さない強い内面を秘めながら、どんなときも美しく優雅に振舞うことを忘れなかったマダム・グレ。1933年にこの世を去ってなお、モード界に強い影響力を放ち、“世界でもっともエレガントな女性“として時代と国境を超えて語り継がれる存在となっている。